幸せは猫が教えてくれる

今でこそ保護猫活動とかやっている私ですが、以前は飼い主失格でした。

何年前に遡ったらいいのだろう…(笑)

はじめての一人暮らしで、はじめての猫を迎えました。

20代のわたしは、掛け持ち仕事に遊びも恋愛も忙しくて、家に帰るのは寝る時ぐらい。

当時はネットも普及しておらず、猫の正しい飼い方をググる技術もなく、白猫「のんのん」には今から振り返ると不憫な暮らしをさせていました。

30代になっても仕事は多忙で、丸一日オフの日など年に何回あったか分からないような生活だったけれど、のんのんと家でのんびりできる時間は最高に幸せでした。

そんな頃、のんのんは「自己免疫性溶血性貧血」という病気になり、投薬の副作用で「糖尿病」も抱え、毎日インスリン注射を打つ生活がはじまりました。

それからしばらくして、かかりつけ医の勧めで大学病院で検査をしてみると「鼻腔内腺癌」で余命1ヶ月と宣告をされ、本格的な闘病生活に。

とはいえ、一人暮らしの私は仕事を休むことなどできません。
朝「行ってくるね」とのんのんに声をかけながら、元気な姿が見れるのはこれが最後かもしれない…と思いつつ出勤する日々。

そんな生活を2年ほど続けました。

そう、のんのんは余命1ヶ月宣告されたのにも関わらず、奇跡的にめちゃくちゃ頑張ってくれたのです!

しかしそんなある日、帰宅するとリビングでのんのんが倒れていました。

これまでも、インスリン注射で血糖値が下がりすぎたことで倒れていたことがあって、動物病院でブドウ糖を飲ませては復活してきました。

でもその日は病院が閉まっている時間で、血糖値が上がりすぎなのか下がりすぎなのか自分で判断しなくちゃならない状況です。

「血糖値が上がりすぎても下がりすぎても同じような症状が出るから、もし判断に迷ったらブドウ糖をあげて。」と獣医からは言われていました。どちらかというと血糖値が下がりすぎた方が命の危険があるから…と。

覚悟を決めて、のんのんを抱きかかえブドウ糖をそっと口から流し込んで数十秒後、わたしの腕の中でのんのんは天国へ行ってしまいました。

わたしの判断が誤ったのかもしれないけれど、もうそれは誰にも分からないしもはやそこは重要ではなく、のんのんは物凄く頑張って「生きた」し、最後まで必死に私の帰りを待っていてくれました。

そして、わが家にはもう一人「ミニラ」という猫がいました。

のんのんのことが大好きだったから居なくなってしまったストレスだったのか…こないだの検診結果で良好だったというのに、突如ガンを患いのんのんを追うようにして3ヶ月後に天国へ行ってしまったのです。

病院から「ミニラちゃん、危ないかもしれない…」と電話があったその日は、私がはじめて開発したシステムのリリース日で、仕事を放り投げることなどできず泣きながら仕事をする私に気づいた上司が社長に掛け合ってくれて、病院に行くことができました。

ときおりミニラの様子をうかがいながらも、待合室でパソコン開いて仕事をする私に「ママさん、ミニラちゃんのそばに居てあげてくれませんか?」と看護師さんに声を掛けられる始末。

ほんとうに飼い主失格。。。

ミニラを天国へ見送ってから、会社に行くと過呼吸が頻発するようになり、会社の(同じく猫好きで多忙な)社長に「猫を飼いなさい」と、無理やり手を引きペットショップに連れて行かれそうになったことがありました (笑)

「ペットショップではなく保護猫を迎えたいから」という私に「ペットショップの売れ残りの子を引き取るのも猫助けだから」と。

そうか、今の私は傍から見るとそんな状態なのか・・・

でも、多忙な生活で猫を飼えば、また寂しい思いをさせてしまう・・・と葛藤をしつつも、「自分が生きる」ためにまた猫と暮らすことに決めたのです。

留守時間が長くても寂しくないように、そしてもう当分闘病生活はしたくなかったので、健康体な兄妹の子猫を里親募集サイトで探してお迎えしたのです。
(今から考えると、留守番が多い私が遊びたい盛りの子猫を迎えるべきじゃなかったですが、そんな知識もありませんでした。)

しかし、子猫の「青」と「空」を迎えて1ヶ月ほどすると猫たちに異変が・・・
検査をしたところ、白血病とFIPをダブルで発症していたのです。

白血病もFIPも、猫にとっては不治の病と恐れられている病気です。

FIPは突然変異で発症するので、若い猫はどの子も発症する可能性がゼロではないけれど、白血病は「陰性」と血液検査の結果が出ていたので、検査後に保護主さん宅で他の感染猫から伝染ったのかもしれません。

念のため保護主さんには連絡を入れたものの、病気だからと返すことなどできません。 もうすっかり家族ですから、そのままうちの子として再び闘病生活がはじまりました。

毎日出勤前に二人を病院へ連れて投薬注射。
重い病を抱えている小さな子を家に残し、仕事に行かなければなりません。

そんな生活を1ヶ月続け、3ヶ月の命で妹の「空」が天国へ行ってしまいました。
病院で看取ることができたのが幸いでした。

それから、わたしの過呼吸はまたひどくなり、ペットロスで会社を辞めることに。

兄の「青」には、お留守番をさせることなく最後の時までずーっと一緒に過ごすことができ、私の腕の中で看取りました。

およそ1年で4頭の愛猫を看取り、わたしの中で長年必死に張り詰めていた何かがプチンと音をたてて切れました。

それまでは、目の前の仕事は一生懸命やるべきだと思ってひたすらにこなしてきたけれど、大切な子に寂しい思いをさせてまで、それはしたいことだったのだろうか?

そして、それをきっかけに全く違う人生を歩みはじめました。

がむしゃらに頑張ることを止め、自分の心地よいポジションを探りながら、動物愛護の問題に関わるようになりました。

近所で野良猫のお世話をしているおばあちゃんにパソコンでのお手伝いから始まり、保護団体の設立、一時預かりボランティア紹介プラットフォームの運営と、自分にできる範囲で保護猫活動を続けています。

保護活動をすればするほど、猫を助けたいのに人間を助けなければならない局面に直面します。

飼い猫を幸せにしたいなら、
飼い主が幸せにならないとならないし

全ての猫を幸せにしたいなら、
全ての人間が幸せにならないとならない。

幸せになろうとして頑張っている人は多いけれど、幸せって頑張ってなるものじゃなくて、すでにそこにあるものだから、そこにある幸せに気づくだけ。

これ以上頑張らなくていいし
人と比較しなくていいし
自分の心地よさを優先していいし
嫌だったら逃げたらいいし
疲れたら好きなだけ休んだらいい

そう、猫のように生きればいい。

そして、自分が少し生きやすくなったら
周りにも少し優しくしてあげたらいい。

幸せのお手本も
幸せも
いつもそばにあったよ。
猫のように生きよう!

最後に…

わたしの人生を変えた4頭の猫たちとの別れは、以前取材を受けて記事になり、yahooニュースのトップに掲載されたことがありました。

元記事が削除されてしまったようで、改めてどこかに残しておきたいと思っていたところ、

Live Like A Cat ~猫のように生きよう~」というDiscordのコミュニティーで、にゃらティブ(猫の物語)について投稿しよう!というのを見つけ書き留めてみました。

いい機会をありがとうございます。